だいとうの見どころ案内

飯盛城跡(中世最大級の山城跡)

飯盛城は、南北朝時代頃に築かれた中世最大級の山城で、織田信長以前に畿内統一を果たした三好長慶の居城としても有名です。現在、建物類は何も残っていませんが、都市近郊の気軽に登れる山として平日でもハイカーでにぎわっています。

中世の山城は天守閣がなく飯盛城も同様ですが、この時代ではあまり見られない石垣が随所に残り、特徴の一つとなっています。また、この飯盛城跡からは大阪平野から京都まで、畿内盆地でかつての三好長慶氏の勢力範囲である270°の眺望も楽しむことができます。


飯盛城跡へは、JR野崎または四條畷駅からハイキング道を約1時間の道のりです(龍間バス停からは北方へ徒歩30分程度)

 

野崎観音(野崎まいりで有名・正式名は慈眼寺)

野崎観音は、正式名「福聚山 慈眼寺」という曹洞宗の寺院で、年配の方々には昭和初期に大ヒットした東海林太郎の「野崎小唄」の舞台となったことで親しまれています。

現在でも、無縁経法要が行われる5月1日から1週間は「ようか日」と呼ばれ、参道にはたくさんの屋台が並び、多くの人々で賑わっています。境内には本堂、鐘つき堂のほか、江口の君をまつった江口の君堂、お染・久松の塚などがあります。


野崎観音へは、JR野崎駅から野崎参道商店街を通り、飯盛山の麓にあります(JR野崎駅から東へ徒歩約10分)

 

平野屋新田会所跡(大東の基礎ができた時代)

現在の大東市の原型は、平地の大部分が陸地となった1704年の大和川の付け替えにより形成されたといえます。

新田会所は所有者が新田の管理等を行う出先機関として現地に設置したもので、平野屋新田会所は、平成20年まで江戸時代の建物群が残されていました。これらは残念ながら諸事情により取り壊され、現在は米蔵、道具蔵、船着場石段跡しか残されていませんが、大東市の歴史を語るうえで重要な遺構の1つです。 

 

堂山古墳群(河内王朝につながる人物か?)

堂山古墳は、飯盛山から東に張り出した尾根上にある8基からなる古墳群です。最も先端にある1号古墳は直径25mの小規模な円墳ですが、多くの円筒埴輪や鉄製の甲冑、鉄刀など200点を超える鉄製の副葬品が出土しました。これらは大阪府の指定文化財として近つ飛鳥博物館等に収蔵されています。

堂山古墳群は、平成24年、市の史跡に指定され、整備後「堂山古墳群史跡広場」としてオープンしました。また、歴史とスポーツふれあいセンター内の歴史民俗資料館では発掘された甲冑や剣のレプリカなどを展示し、市の歴史について解説しています。


堂山古墳へは、JR野崎駅から歴史民俗資料館、宝塔神社を経て約20分です

 
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更新日:2016年3月15日