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【10月5日発表】「三好長慶と大東市の中世~飯盛城はそのとき~」を開催
飯盛城跡国史跡指定・三好長慶生誕500年記念特別展
「三好長慶と大東市の中世~飯盛城はそのとき~」を開催
市指定文化財「三好長慶書状」「飯盛千句 第十百韻 写本」を初公開
大東市立歴史民俗資料館では、令和3年10月に大東市東部に位置する飯盛城跡が国史跡に指定されたことと、飯盛城主・三好長慶の生誕から今年で500年を迎えたことを記念し、令和4年10月15日(土曜日)から12月11日(日曜日)まで、特別展「三好長慶と大東市の中世~飯盛城はそのとき~」を開催します。
令和4年に市指定文化財となった「三好長慶書状」と「飯盛千句 第十百韻 写本」を初めて公開するほか、飯盛城跡の発掘調査で出土した遺物や、中世から近代までの飯盛城と周辺地域に関する考古・文献資料など約120点を展示します。
今回の特別展をきっかけに『天下人』三好長慶や、国史跡・飯盛城跡について多くの方に知っていただき、市民の市への誇りや愛着を高めると共に、市外の方に大東市をPRし、訪れるきっかけにしたいと考えています。
初公開となる史料
▲市指定文化財「三好長慶書状」
永禄3年(1560)4月に、三好長慶が公家の権小輔という人物に差し出した書状です。
居城の芥川城(高槻市)から飯盛城に攻め寄せたことなど、当時の長慶の動向が詳しく記されており、長慶が飯盛城に入城していく過程を知ることができる重要な史料です。
▲市指定文化財「飯盛千句第十百韻 写本」
永禄4年(1561)に三好長慶が飯盛城で興行した連歌会「飯盛千句」の十巻目を記録したものです。文字の書きぶりや表現方法、長慶のことを「長慶朝臣」と敬称をつけている点などから、連歌の清書を忠実に書き写したものであることがわかります。書写された年代は16世紀までさかのぼる可能性が高く、現存する最古の写本として貴重な史料です。
特別展の概要
- 主催:大東市立歴史民俗資料館・大東市
- 会場:大東市立歴史民俗資料館(大東市野崎3-6-1)
- 期間:令和4年10月15日(土曜日)~12月11日(日曜日)
- 開館時間:午前9時30分~午後7時30分
- 休館日:第1・3火曜日
- 入場料:無料
参考
国史跡・飯盛城跡
大東市と四條畷市にまたがる飯盛山に位置する戦国時代の山城跡です。城の規模は東西約400メートル、南北約700メートルで、西日本で有数の規模を誇ります。
享禄3年(1530)に木沢長政の居城として初めて登場し、永禄3年(1560)に三好長慶の居城となりました。石垣や曲輪、堀切などの遺構が良好に残っており、令和3年10月に大東市で初めて国史跡に指定されました。
▲飯盛城跡の石垣
三好長慶(1522~1564)
阿波国(徳島県)出身の武将で、細川氏に仕えた後、次第に頭角をあらわし、天文22年(1553)に将軍足利義輝を京都から追放し、事実上の天下人となりました。連歌や和歌を好む文化人でもあり、キリスト教の布教にも寛容でした。永禄7年(1564)に飯盛城で亡くなりました。
▲三好長慶像(大徳寺・聚光院蔵)
お問い合わせ先
産業・文化部 生涯学習課
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