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古堤街道周遊休憩所「大クスの館」

記事ID:0065419 更新日:2025年10月2日更新 印刷ページ表示

 令和7年10月、地域の魅力向上や歴史文化の保存活用を目的に、大阪と奈良を結ぶ歴史街道「古堤街道」沿いに、新たな休憩所「大クスの館」を整備しました。

 休憩所には、令和3年まで平野屋新田会所跡の北側に根付いていた大クスの幹をモニュメントとして設置し、平野屋新田会所の歴史に関する案内板を設置しています。

古堤街道周遊休憩所(大クスの館)

古堤街道周遊休憩所(大クスの館)

古堤街道

 古堤街道は、大阪の京橋から寝屋川の堤防上を東に進み、河内平野を横断して奈良へ向かう街道です。 享保21年(1736)刊行の『五畿内誌』には「中垣内越」や「古堤路」と記され、明治時代以降に「古堤街道」 と呼ばれるようになりました。 街道沿いには、諸福天満宮や御供田八幡神社、平野屋新田会所跡など、多くの文化財が残っています。 古堤街道を利用して多くの人や物が往来し、大東市域の経済・交通・文化などの発展に寄与しました。

平野屋新田会所の大クス

 現在の大東市の市街地付近には、江戸時代まで深野池という池が広がっていました。宝永元(1704) の大和川付替え工事にともない干上がった深野池の跡地では、約323ヘクタール(甲子園球場約84個 分)の土地が開発され、今日の大東市の発展の原点となりました。 平野屋新田会所は、享保6年(1721)に大坂の両替商・平野屋又右衛門が所有権を得た深野南新田 (大東市平野屋・谷川・南新田)と河内屋南新田(東大阪市元町)の管理・運営のために設けられた施設で、 年貢の集積や住民の管理、武家の接待等に使われました。 平野屋新田会所の千石蔵(米蔵)の北側には敷地面積約300坪の雑木林があり、高さ20メートル以 上、幹回り約5メートルの大クスがひときわ目立っていました。 平成20年(2008)に平野屋新田会所屋敷が取り壊された後も、雑木林は手つかずで残されていまし たが、令和3年(2021)に住宅開発業者に売却され、大クスの幹はをはじめとする樹木はすべて伐採され ました。その後、泉町の住民によって大クスの幹が保存されることになり、このたび古堤街道周遊休憩所 にモニュメントとして保存されることになりました。

平野屋新田会所の大クス(伐採前)

平野屋新田会所の大クス(伐採前)

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