ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 産業・文化部 > 生涯学習課 > 飯盛城について

本文

飯盛城について

記事ID:0002761 更新日:2021年2月1日更新 印刷ページ表示

位置

飯盛城の地勢

飯盛城は、大阪平野の東縁部に位置する生駒山地の北部から、西北に派生する支脈である飯盛山山頂(標高314m)を含む馬の背状の尾根筋を中心に構築された戦国期の山城である。

現代の行政区分では、大東市と四條畷市にまたがる山中ということになるが、西麓を走る東高野街道と、北麓の大和に至る清滝街道、南側の古堤街道(中垣内越)が交差する地点に近く、当時から交通至便な土地であった。

さらに西麓には深野池が広がり、河内を網の目のように流れる大和川水運の結節点となる港にも至近で、大阪、堺、更には瀬戸内から四国、九州にもつながる交通の要衝であった。

城の西側面は海抜数メートルの深野池から標高314メートルの飯盛山山頂まで、急峻な崖が立ち上がり、北麓を巡り、東側の谷を流れる権現川からの斜面も急で、唯一生駒山から尾根が連なる南側だけが緩やかで、攻めるに難く守るに易い城地であった。

歴史

三好長慶
三好長慶肖像(大徳寺聚光院像)

飯盛城は、享禄年間(1528-1531)、河内守護の畠山氏に仕える河内守護代木沢長政の築城と考えられている。

1560年、足利将軍家と和睦した三好長慶が、畠山氏や守護代として飯盛城にいた安見氏を河内から駆逐し、飯盛城を自らの居城と定め入城した。

三好長慶は、室町幕府13代将軍足利義輝を近江に追いやり、斎藤道三、北条早雲と並び戦国時代の下剋上の代名詞と言われる人物である。

しかし、織田信長に先立ち、信長と同様に将軍を放逐して将軍家の権威を借りずに実権を握った、戦国時代最初の天下人である。

信長上洛以前の畿内の争いは、将軍家内の権力闘争程度に見られていたが、最近見直しが進み、三好長慶も、信長と同様、朝廷と結んで将軍家の権威を借りない独自の政治を始めたことが分かってきた。

信長の先進性の証とされる兵農分離、鉄砲、石垣の築城なども実は長慶が先といわれる。連歌の会や茶の湯など、風雅にも優れた文化人だった。

飯盛城の様子

想像鳥瞰図
飯盛城想像鳥瞰図原画:山本ゾンビ 2016年改定/監修:摂河泉地域文化研究所/指導:中井均(滋賀県立大学)、中西裕樹(高槻市立しろあと歴史館)

飯盛城に入った長慶は、当時、「天下」と認識されていた、京都から摂河泉までを一望のもとに収める、270度の展望を持つ拠点城郭として飯盛城を整備した。

大がかりな堀切、本格的な石垣や切岸、畝状縦掘りを駆使して多重の郭を連結させた戦闘のための施設等はもちろんのこと、狩野永徳の「洛中洛外図屏風」に描かれた「三好邸」のような、三好一族の居住スペースや、政務をとったり、家臣や公家、来訪者を招く文化サロンのスペースがあったと考えられている。

現在の遺構

縄張り図
飯盛城縄張り図 原図:飯盛城跡縄張測量図(大東市教育委員会/四條畷市教育委員会)

現在の城跡は、規模で東西400m、南北600m以上を超える、中世最大級の連郭式山城の跡を残している。

北から「御体塚郭」「高櫓郭」「千畳敷郭」などの曲輪が尾根筋に連続的に配され、その周囲に帯曲輪、腰曲輪が囲むばかりでなく、中央の尾根筋から東西に延びる何本かの支脈に沿って副次的な曲輪が複数段築かれ、曲輪の総数は70を超える。

城内のいたるところに石垣が残っており、近年の調査で、特に東側は石垣が全面的に築かれていた可能性が浮かび上がってきた。

その他、堀切、土橋、土塁、虎口、切岸等の遺構も確認でき、戦国時代の最高権力者が築いた、政治の中枢の場であった巨大山城の様子を現代にまで伝えている。

飯盛城赤色立体地図

飯盛城赤色レーザー
飯盛城赤色立体図(大東市教育委員会・四條畷市教育委員会/測量・図化・アジア航測)

赤色立体地図とは、樹木に覆われた山林でも地表面までを透過するレーザー光で、微細な凹凸を正確に計測する航空レーザー測量のデーターを使って、急斜面ほどより赤くなるように調整した斜度画像地図。赤色は人間が最も立体感を感じる色という。

そもそもは、災害用の技術だったが、文化財調査でも威力を発揮。

これまでの飯盛城の縄張り図は人が踏み分け立ち入った地域のみという課題があったが、この立体赤色地図は、南西は野崎慈眼寺、北は龍尾寺までの広範囲で人の足が踏み入れない場所を三次元で描き出した。

これにより、微妙な遺構や地形の高低差や起伏の形を正確にとらえることができる。知られていなかった出城や曲輪、堀切などの発見が可能となり、本来の城域の確認が期待される。

これまでに作られてきた縄張り図とともに、飯盛城を理解する上での重要な資料となっている。

また、飯盛城を紹介している動画がありますのでご覧ください

教育委員会からのメッセージ動画